もやもなあしあと

2019年11月にスタートした、詩作家・古屋利幸の公式ブログです。更新は、ほぼ隔週水曜日(^^♪ 。オフィシャルサイトでは、隔週刊詩も発信中。

未来の自分に伝えたいことは?

来年の自分に? 3年後の自分に? 5年後の、10年後の自分に? 今の自分から言葉を伝えるとしたら、あなたは、どんな言葉を伝えますか。

 

3年前。5年前。10年前の自分を思い返すと、今が不思議です。うれしい出来事。つらい事柄。人には話せない眠れぬ夜。さまざまを乗り越えて、こうして、僕は生きている。祖父母たちが。叔父叔母たちが。従兄弟が。父が。友たちが。逝ってしまったけれど、僕は生きている。

 

10年後の自分に僕は伝えたいのです。「名も無く、余裕もなく、恐る恐るの毎日を過ごしているけれど、思い通りにいかないことが多いけれど。大切な人がいます。大好きな場所があります。自分自身を励ますように、言葉を紡いでいます。だから、しあわせです。この先に、何が待ち受けているのか、わからないけれど、このまま進みます。宇宙を翔け巡るように」

 

「今を生きる」とは、たとえば、この日常を愛し、行き違った思いと和解し、覚悟を手に歩くこと。たとえば、ポジもネガもないのだと思い知ること。すべての出来事はサインであり、導きであると気づくこと。たとえば、孤独さえも受け入れて進むこと。 

ではまた。次回(^^♪/////// 

 

 

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よわねこギャラリー10/私へのメッセージ

 

居場所を探して。

この世界で確かなものがあるとしたら。それは「すべては変わる」ということ。人のこころも。体も。街の景色も。深山も大海も。同じように見えていても、目を凝らすと、変化し続けている。その軌跡は、先へ先へと伸びる。

 

この惑星も。太陽系も。猛スピードで、移動し続けている。静かに空を見上げる朝も、机上で仕事に向かう午後も、この身は、移ろいのなかにいる。「現在」から「未来」へ、見えない力に導かれるように、前へ前へと進む。

 

この世に生を受けた意味があるとしたら。その一つは「居場所」を見つけること。あらゆるものを消費しながら、手放すことを覚え、孤独を乗り越え、「魂の丘」を見つけること。肌身離さず「覚悟」を抱え、気まぐれな「勇気」を奮い立たせて。記憶された物語を読み進む。

 

「さよなら」に負けず、「こんにちは」に怯えず、目の前で起こることを受け入れながら、受け流して、次のページをめくるように、「その道」を探す。こころがすっかり安らいで。強がりも励ましもいらなくて。流れる涙をゆっくり乾かしてくれる。そんな「居場所」、「魂の丘」へ続く道。きっと、見つかりますように。 

ではまた。次回(^^♪/////// 

 

 

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よわねこギャラリー09/あなたへのメッセージ

 

ピース或いはよわねこ喜譚

なんのこっちゃのタイトルですが、コトバ相手の戯れと、眉間のシワを緩めつつ、耳かきなんぞしたりして、「このご時世じゃ、遊び一つも難儀する。どれ、暇つぶしに、こやつの物言いでも眺めてみるか」ってなご心境で、「寛大」を手に、お読みいただけましたなら、うれしい限りでございます。

 

ほぼ隔週刊なんて甘えておきながら、すっかり「週回」遅れとなり、あてにならぬ身で、恐縮至極の次第です。来る東京オリンピックの影響で、ここ数年お手伝いしている、さだまさしさんのコンサートツアーが、例年より、ひと月早くスタートすることとなり、やることなすこと時間がかかるこの身ゆえ、すっかりどっぷり、しっかりと、仕事に精を出していた次第。恥ずかしながら、まだまだ渦中でございます。

 

しょーもない言い訳はさておいて。件のタイトル。ピースは「しあわせ」ではなくて、「断片」あるいは「欠片」の意。吹けば飛ぶようなこの身に起こった、ささやかな喜びのご報告、とまあ、そんな了見でございます。すっかりどっぷり、しっかりと、向き合っていたその折に、処は上野、東京藝術大学で、澤学長にインタビューする機会がございました。トーキョーゲーダイとは、我が身には、憧れ以前の存在です。役割を果たすべく、冷や汗たらりと流しつつ、ご無礼をしてきた次第。実はこの折、うかがったお話の内容は違えど、日頃この身を満たしている、「草木国土悉皆成仏」にも通じるメッセージを、手前勝手に感じたのでございます。

 

処も日付も変わりまして。今度は、さだまさしさんにお話を聞きながら、ここでもまた、お話の内容は違えど、日頃この身を支えている、「無条件の自己肯定」なる考察にも通じる問い掛けを、手前勝手に感じた次第。我が身から見上げれば、遥かな高みでご活躍の方々のお話ですが、身に受けた風は、地道に歩く我が身の歩幅に、「手にした地図はそれぞれ違う。そのまま行けば良いではないか」と教えをいただいた思いなのでございます。もっと具体的に言わんかい、という、御仁。然り。エピソードの詳細は、拝顔した折にぜひ。

 

何はともあれ、お伝えしたいのは、この身に起こる「シンクロ二シティ」あるいは「コンステレーション」を感じることこそ、進路を示す、人生の標識ではあるまいか、という私見でございます。それらは決して、特別なものではなく、誰にでも起きているに違いない、そう感じるのでございます。肝心なのは、アンテナの感度だけ。

 

生きるには、覚悟が欠かせないことを、改めて思い知る今日この頃。見えない力を感知する、こころの感度をアップして、明日も元気にまいりましょう。 1週遅れとなりました、徒然なるままの戯れの拙文。ご無礼、お許しのほどを。 

ではまた、次回(^^♪///////

 

 

<NEWSあれこれ>

07月6日~13日  :刺書家の佐藤日奈子さんとコラボ展、開催(^^♪ 

04月16日(木):さだまさしさんのコンサートツアースタート!

        担当したツアープログラム、ただいま製作中です(^^♪

 

こころを解す、縁側気分のひととき、ご一緒しませんか (^^♪/////

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よわねこギャラリー08/あなたへのメッセージ

私は「あなた」でできている。

何事も思い通りにならぬ不満と、明日をも知れぬ命への不安が、人を苦しめるのだと知り、なるほど、数多ある憂いのアレコレは、その二つに帰結するのだと合点し、なんだか心の荷が軽くなった気がした。

 

とはいえ、目の前に、生々しくも恨めしい日々の生活が横たわっていることに変わりはない。朝の商店街を駆け抜ける車輪の音に急かされて、駅へと走り、昼はせっせと、空腹に季節を忘れた食材を流し込み、不思議絵の階段を昇るごとくの労働に身をやつし、日暮れに追い立てられながら、密着列車で送還され、一日を終える。その繰り返し。

 

口をつくのは溜息ばかり。なんとも情けないありさまよ。ぼやきの吐息を見送って、ふと見上げれば夜の月。天上に貼り付くように笑っている。それも一生、これも一生。すべては仮初、この世は夢と思うなら、今日の憂いも笑い飛ばせるではないか。などと、誰とも知れぬ言い分が、静まり返った商店街をヒラリヒラリと泳いでいく。

 

啓示というには不確かで、悟りというには頼りない、道端の小石のようなささやきが、萎えた足取りを軽くした。然り。今が限りとするならば、袖すり合うはすべてがご縁。ミトコンドリア・イブのご登場を願うまでもなく、この世は縁の数珠つなぎ。誰彼含めて縁者であった。

 

比べて強がりへまをして、あの道選んで躓いて、途方に暮れて助けられ、思わぬところで杖を得て、前後不覚でフラフラと、目にした扉を必死で叩き、開いた部屋に倒れこみ、気を取り直して立ち上がり、さしたる気概もないままに、一歩一歩と積み重ね、今日を迎えていたのであった。

 

軌跡は奇跡の連続で、タイトロープの道のりだった。今が限りと想像すれば、ありがとうを忘れ去り、あたりまえに首まで浸かり、ふんぞり返った古漬が、この身と気づいた次第であった。風呂上がり、足先の指を見つめて思う。グー、チョキ、パーすら曖昧で、思い通りに動かせぬ。ましてや胃袋、肝臓に、腎臓、膵臓、心の臓、意思が通せるわけがない。

 

自分の体というけれど、授かりものの器のようだ。すると一体、「私」とは、この体のどこに居て、その実、何者なのであろう。思い返せば、感情や、扱いなれた言葉すら、握ったはずの手網を離れ、制御不能になることがある。そこに居るのが、隠されていた「私」であるか、見ず知らずの「ワタシ」であるか、未だ私には分からない。されど、この体が、授かりものの器なら、この「私」とて、私のものではないのであろう。

 

なんだか、煙に巻かれたようで、すべてがばかばかしくなった。いつか目にした清流をプカプカ浮いて流れゆく、ふやけた小枝が目に浮かぶ。そうだ。この身はきっと、小枝なのだ。自覚も意思もあるけれど、流れに抗うわけにはいかず、流れ流され、そのままに、日照りに乾き、雨に濡れ、時には小鳥の止まり木に。そして、いつしか朽ち果てて、遂には炭素に姿を変えて、天に還っていくのであろう。

 

私とは、私以外のものだった。私とは、私以外の命がつくる、小枝のごとき像だった。されば、まだ見ぬ、あなたのおかげもここにある。私はあなたでできているのだ。 

ではではまた次回(^^♪/////////

 

 

こころの開放時間、ご一緒しませんか (^^♪/////

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よわねこギャラリー07/あなたへのメッセージ

世界は「サイン」に満ちている。

「もしも・・・」の話です。もしも、風にコトバがあったなら、今日、あなたが受けた風は、あなたにどんなコトバをかけていたと思いますか。もしも、鳥のコトバが聞こえたら、並木道で耳にしたさえずりは、何を話していたと思いますか。もしも、水にコトバがあったなら、花にコトバがあったなら、夜空の月にコトバがあったなら、あなたはそこに、どんなコトバを想像するでしょう。

 

「この世界は音に満ちている」空海は、そう語ったと聞きました。僕は、その「音」を「サイン」と読み替えてみました。この身を取り巻く世界は、「サイン」に満ちていると、仮定してみたのです。ユーミン荒井由実)が「目にうつる全てのことはメッセージ」(「やさしさに包まれたなら」の一節)と歌ったみたいに。

 

世界に生きる77億人(2019年時点:国連発表)のなかで、同じ人間はいません。「僕」という存在、「あなた」という存在は、唯一無二です。過去も、未来も。クローン人間が誕生しない限り、いえ、たとえ、クローン人間が誕生したとしても、「こころ」はコピーできないでしょう。なぜなら、「こころ」は形のないものだから。そう考えると、一人ひとりの存在は、やはり奇跡であると、思わざるを得ません。

 

僕もあなたも、奇跡の存在です。そんな思いで、空を見上げると、ほら、聞こえてきませんか。「だいじょうぶさ」って。  ではまた、次回(^^♪///////

 

 

<NEWSあれこれ>

02月29日(土):南麻布にて「ココロミ発表会 Vol.3」に出演

04月16日(木):さだまさしさんのコンサートツアースタート!今年もツアープログラ

        ムの製作を拝命致しました。

 

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よわねこギャラリー06/あなたへのメッセージ

 

あなたは「ジブン」を信じていますか。

「幸せですか」という問いに、あなたはどう答えるでしょう。こころの変換キーを1度押すと、その問いは、「あなたは“ジブン”を信じていますか」に姿を変えます。迷うことなく、「はい! 信じています」と答えられる人は、どれほどいるでしょう。かくいう僕は、YESながらも、その声は、おそるおそるの小声です。あなたはいかがですか。

 

こころの有り様を想像するとき、ジグソーパズルが思い浮かびます。「世界でひとつの幸せのパズル」です。形も、ピースの組み合わせも、オリジナル。しかも、完成の絵は定まっていません。日々、変化するのです。ピースの形も、また、しかり。体験や気づきによって、大きさまで変わります。はめ込みが、遅々として進まないときもあれば、一気に進むときもある。完成が近づいたと思ったら、隠れていた部分が見えてきて、把握していた大きさが違うことに愕然とする、なんてこともたびたび起きる。

 

そんなパズルですから、思い通りには進みません。ほかの人に手伝ってもらうこともできないし、ほかの人のやり方を真似るわけにもいかない。なにせ、変幻自在の特注品、僕だけの完全オリジナルなのですから。完成に必要なのは、自分を信じること。

 

自分を信じるとは、「無条件の自己肯定」にほかなりません。ありのままの自分をまるごと受け入れる。簡単そうで難しい。けれど、自分を信じること(無条件の自己肯定)ができれば、同じように、自分を信じている「他者を受け入れること」(無条件の他者肯定)もできるはず。すると、毎日は、ずっと生きやすくなると思うのです。幸せのジグソーパズルも、するすると、はめ込みが進みます。まずは何より、「ジブン」を信じてあげられるよう、今日も「あなた」を大切に。ではまた、次回(^^♪///////

 

 

<NEWSあれこれ>

01月25日(土):神楽坂にて「ポエムバー in 六角堂」開店

02月29日(土):南麻布にて「ココロミ発表会 Vol.3」に出演

04月16日(木):さだまさしさんのコンサートツアースタート!今年もツアープログラ

        ムの製作を拝命致しました。

※3月に開催を予定しておりました「手のひらメッセージ・ポエム展」は、

製作時間の見直しにより延期致しました。夏開催をめざし、準備致します。

 

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よわねこギャラリー05/招福祈念のお狐様(伏見稲荷大社

 

「ゆっくり」ただそれだけで。

技術革新による時短で得た「ゆとり」は、どこに消えてしまったのでしょう。効率化、合理化、あるいは省力化。それらの恩恵で手にしたはずの「時間」は、何に化けてしまったのでしょう。身体をつくる食事の時間すら、後回しになるほど忙しく働きながら、何を手に入れようとしているのでしょう。

 

僕は、それらの答えを探すうちに、「何のために生きるのか」という大問題にぶつかってしまいました。何を恐れ、何を嫌悪し、何に傷つき、何に憧れ、何を喜び、何を目指しているのか。一つひとつ、自分なりの答えを整理しながら、「人は、何かと関わるために生きているのだ(生かされているのだ)」という結論にたどり着きました。

 

有機物、無機物を問わず、「何と」「如何に」関わるか。その記憶こそが、生きる行為なのだと感じたのです。僕にとって、「時間」は、かけがえのないものとなりました。時間を味わう姿勢こそ、生の源泉だと気づいたからです。「ゆっくり」「ていねいに」生きる。「ゆっくり」「ていねいに」関わる。

 

シンギュラリティーが声高に論じられる現代にあって、「ゆっくり」「ていねいに」生活することは、容易ではありません。覚悟が必要です。引き換えに失うものが少なくないからです。けれど、そこから僕は、実に多くのものを学びました。「ゆっくり」した生活は、この世の豊かな音を感じ取る、発見に満ちた、刺激的なものでした。その続きは、また改めて。(^^♪//////////

 

 

<NEWSあれこれ>

01月25日(土):神楽坂にて「ポエムバー in 六角堂」開店

02月29日(土):南麻布にて「ココロミ発表会 Vol.3」に出演

03月02日(月)~09日(月):要町にて「手のひらポエム展」開催

こころを開く「縁側時間」、ゆっくり、ご一緒しませんか (^^♪/////

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よわねこギャラリー04/あなたへのメッセージ